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一昨年の夏、私は一人で日本の中国地方を旅行した。その旅では、出発の前に詳しい計画を立てない、ほぼ「歴史を巡る旅行にしよう」とだけ考えていたが、結局は、無意識に「神社の旅」となった。広島から下関まで、反時計回りに山陽と山陰を旅行して、いろいろな神社を参観した。あの地方には、日本神話に関する、名勝地となっている立派な神社がある。これらの神社は、宗教の象徴と理解できるだろうが、しかし、歴史人物を奉祀する神社の宗教的存在については恐らく疑問があると思う。

 

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例えば、萩市の松陰神社は、思想家吉田松陰を奉祀する神社である。その側には、吉田松陰の弟子を奉祀する「松門神社」があり、向かいに松下村塾がある。神社の境内を散策すると、いわゆる「明治維新の胎動地」の雰囲気が感じられた一方で、松陰とその弟子の神格化については微妙な思いがある。そもそも、吉田松陰は安政大獄の故に斬刑に処され、明治になり、神社を創設して祀った神格化は、一方では松陰を記念することであるが、他方では幕府に抵抗した英雄の地位が与えられ、明治政権の正当性を強化して、国家意識を強めようとした機能かもしれない。木戸孝允、伊藤博文、山県有朋など明治政府の要人となった松門弟子の神格化には、その意味があると思う。

 

 

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同様な感想は、山口市の豊榮神社を参観した後にもあった。。この神社は戦国時代の名将毛利元就を奉祀し、その側には、長州藩最後の藩主で明治維新の功労者である毛利敬親を祀る野田神社がある。別格官幣社で、国家神道色が強い。境内には、毛利元就の名句「百万一心」を刻む石碑以外、私の目を引いた「征清役戦死者招魂碑」があった。碑文には、日清戦争の経緯と「皇室屏障」の防、長二州の子弟が、「王之股肱爪牙」と軍隊の主力になり、「奮戦苦闘決死報效」し、犠牲になったこと、そして「激励少壮」のために碑を立てたなどの文字が刻まれている。これらを読みながら、その時代の雰囲気を感じた。

 

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私は神道の専門家がではなく、個人的感想である。今の神社の存在は、もとの意味から変化しているかもしれない。これは、松陰神社で「5教科全部70点以上!!」や、「泉丘高校に必ず合格できますように」などと書れた絵馬を見たときに、そう思った。  

 

簡至鴻2013/8/9

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